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おかげさまで46歳になりました

  • 茂久 永松
  • 2020年12月14日
  • 読了時間: 3分




2020年12月14日午前零時。



おかげさまで46歳の誕生日を迎えることができました。





45歳の最後の日、12月13日は全国講師オーディション。



厳しい予選を通過した塾生の一条佳代、山野礁太の晴れ舞台を見に行ってきました。





そしていつものようにみんなでお疲れ会をし、ただいま我が家のとら、さくら、ひな、もも、そしてバイト終わりに寄ってきた長男の亨太郎と新しい年齢を迎えることができました。



45歳の1年間を振り返って良かったこと。



まずいちばん忘れられないことは出版でした。





「人は話し方が9割」(すばる舎)が日本のビジネス書ランキングで1位に。



「20代を無難に生きるな」「30代を無駄に生きるな」(きずな出版)が10万部到達。



いちばん大切にしてきた思いが「在り方」(サンマーク出版)という形になったこと。





そして45歳のもうひとつの大きな出来事は、20年間続いたたこ焼き屋からはじまった陽なた家物語に区切りをつけたことでした。



46歳。この歳にやると決めたこと。



それは自分の中での人財育成の意味を変えること。





(株)人財育成JAPANの



「人財を育成する」



というコンセプトから



「人財が育ち成長する」



に変えたいと思っています。





「人を育てる」と今まで言ってきましたが、正直、人を育てるという言葉には、どこか僕のおごりが入っていたような気がします。



そうではなく「人が育つ環境を創る」。



人は自分で自発的に



「もっと自分を磨きたい」



と思ったときに、自分の力で行動し始めるもの。



そのためには理論より実践を通して、まずは僕自身がしっかりと結果を出し、その姿を証明していくことが大切なことなのではないかな、と。



無理して人を育てようとするのではなく、自然と人がやる気になる場所を創る。



そんな素敵な環境を創れる人間になりたい。



そう思ってます。





なので、46歳はさらにエンジンをかけて本を出していきますし、45歳のとき以上に前に出ていくつもりです。



今日の朝、1年前、2年前…、過去の誕生日のアップを振り返りました。



その中で、やっぱり今年の誕生日を迎えても変わらず思い出すこと、それは



「あなたは日本一のメンターになる」



と言ってくれた母のことでした。





4年前の2016年、母の遺書をきっかけに東京に上京。



「何を通して人のメンタリングをするのか?」



と考えた結果、まず決めたのは出版での日本一。





まるで目に見えない何かが背中を押してくれたかのように



「話9」「20代、30代」「在り方」



という今年書いた本たちが、たくさんの人に広がって行き、その夢が実現しました。



もちろん夢が叶ったのは嬉しいです。





でも何より嬉しかったのは、まずはひとつ母に日本一をプレゼントできたことでした。





でも母が僕に言ってくれていた



「日本一のメンター」



はまだまだ遥か遠くにあります。



この結果に感謝しながら、でもおごることなく、休むことなく、一歩ずつ前に進んでいきます。





父さん、母さん、ありがとう。



おかげさまで46歳になりました。



いろんなことがあるけれど、どんなときも二人がくれた



「喜ばれる人になりなさい」



この教えをしっかりと守っていきます。





来年はこの言葉をタイトルにした本をつくるから楽しみにしててね。



そして誰よりも二人に喜んでもらえる息子になれるようにがんばるよ。



温かいご指導をいただきました人生の先輩方、そしていまも共に歩いてくれている仲間たち、ここまで支えてくださったここに書ききれないたくさんの「おかげさま」に心から感謝いたします。




もっと前へ、もっと高みへ。



一人でも多くの人のお役に立てますように。



そしていい日本の創造の土台の一角になれますように。



ということで、ここから46歳を始めます。



いくぞー!





2020年12月14日



感謝を込めて 永松茂久

 
 
 

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